先ず、①の役割が強調されてきた日本とフランスの例を見ると、義務付け制が極めて否定的なことだけではないことがわかる。フランスの場合は、公的賃貸住宅に対して取得を政府が奨励し、民間部門の25%に比べて公的賃貸住宅部門は50%に達している。また、日本の場合をみると、契約自由の原則に基づく任意制で行われているが、その利用が徐々に進んでいるももの、未だ十分ではないため、普及と実効性に疑問が提起されている[1]。ところが、②を目指すとなると、義務付け制とは違う局面を迎える。建築物の構造の安定や火災時の安全等についての最低性能及び仕様の規制について、すでに建築法と住宅法がある。これら以上の性能向上を求めることは、個人の選択に任せるべきこととなり、経済的な無駄を発生させる恐れもある。特に需要者の認識不足下で業界の過度な性能競争をもたらす可能性もあると考えられる。
また、供給者にとっては既存の法律に加え評価を受けなければならないということから技術的規制と認識され、性能向上が強制される可能性がある。韓国の住宅性能表示制度で①と②の目的が同時に強調される状況は行政の介入の合理性を与えているが、これが義務付け制を保証することではないといえる。即ち、公権力の介入の方法について行政がどこまで介入すべきなのか、住宅需要者にどこまでの選択肢をあたえるべきか、等の観点からきめ細かい議論が積み重ねられる必要があると考えられる。義務付けへの供給者の否定的意識の中では制度化に向け社会的な議論が十分ではなかったと考えが作用していることを否定することができない。合理的な制度の運用に関する議論が必要となると考えられる。
[1] 参考文献6)によると、一棟(2004)は、住宅性能表示制度の目的は、性能向上より、性能を確認するための評価を行うことにあり、また、住宅取得支援を効果的に行うなら任意制度とすることに疑問が残ると記し、「全国共通のものさし」といっても、評価された住宅を見比べて検討する現物が身近にない限り、抽象的な判断にならざるを得ない事情を指摘した。
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