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2010/03/30

第2章 韓国の住宅性能表示制度の成立/2.4 日本と韓国の住宅性能表示制度の成立の比較/2.4.3 性能項目及び評価基準

両国の設計住宅性能評価の基準をみると、「性能の項目」、「表示方法」と「評価方法」において差異が見られた。先ず、性能の項目については、日本の場合、初めは5つの性能表示事項の設定の考え方等[1]に基づいた「9分野29項目」が必須と選択事項に分けて表示されたが、現在は改正を通じて「10部門32項目(2006.4改正)」になっている(表2-4)[2]。韓国の場合は全て必須事項であり、「5部門の14範疇20項目」になっている。選ばれた性能事項の特徴をみると、日本の場合は、地震が多発する地理的・住居文化の特性を反映し建物の安定・安全に関する項目が定められているが、音に関する項目は選択にしている。反面韓国の場合、構造的な建物の安定性に関する項目はあまり含まれずに長期耐用性と団地内の外部環境、住民共同施設に関する項目を盛り込んでいる。これらの項目選定には、技術的制御として活用する行政のニーズと韓国のアパートの計画的特徴が反映されたと考えられる。

次に住宅性能評価書の中の表示方法については、日本の場合、ランクに分けて等級(最低水準が1等級)、有・無や数値を表すという方法で性能が表示されている。反面韓国の場合は、ランクを分けだけで(最高水準が1等級)表示されており、最高水準等級は現在より5-10年後の技術開発及び状況を考慮し設定されている。なお表示する等級は、団地内の最低性能を基準にした。最後に評価方法ついては、日本の場合は性能を定量的に導出できるかによって「性能規定」の形態と「仕様規定」の形態の 2種に分かれているが、特に仕様規定の形態の中では定量的に表示することができない場合、あるいは難しい場合には、有・無、数値をそのままで表している。反面韓国の場合は、定性的指標を並べ、この該当する数を加算したり、指標別の加重値を与えて合算したりして評価している。例えば、可変性、修理の容易性、高齢者への配慮、室内空気質、トイレ騒音項目等がこれにあたる。

図2-11 日本と韓国の住宅性能表示制度の表示項目(共同住宅部門) 

また、図2-11は両国の表示項目と関連項目を比較・整理したものである。両国の性能表示項目を「住環境の5つの基本理念(佐藤・浅見,2001)[3]」の視点からみると、日本は住棟の性能に注目し安全性と保健性に関する項目が多く、更に近年新しく定められた防犯項目も安全性と関連がある。韓国は、団地まで視野に入れ快適性に関する項目も定められている。また、住環境水準の視点からみると、日本は住環境の基礎的な水準となる基礎水準に、韓国は基礎的な水準に加え、良好な住環境の形成となる誘導水準に関する項目が多くみられており、両国における住宅事情と分譲マンションの計画及び設計の事情を各々反映していると考えられる。一方、表示方法と評価方法について日本は正確さを、韓国は分かりやすさを追求している。評価書での表示方法について日本の場合は、等級表示だけではなく数値や有・無を表示するため、等級しか表示しない韓国の場合より複雑である。また両国の評価方法は定量的な評価に基づく性能規定及び仕様規定の形態が併用されており、特に韓国の制度は一部の項目に対し定性的評価も行われている。


[1] 参考文献22)では「評価のための技術が確立され、広く利用できること」、「設計段階での評価が可能なものとすること」、「外見からでは容易に判断しにくい事項を優先すること」、「居住者が容易に変更できる設備機器等は原則として対象としないこと」、「客観的な評価が難しい事項は対象としない」と記されている。また、表示事項や評価に関する理解、施工の検査に役立つため、基本的な考え方についても記されている。
[2] 参考文献30)と31)によると、日本は制度の制定年から2006年まで多数の改正が行われており、室内空気中の化学物質の濃度の測定追加(2001.8.1)、防犯に関することの追加(2005.9.14)、省エネルギー基準及び消防法の改正に伴う改正(2006.3.27)、更新対策や免震構造の追加(2006.9.25)等を挙げることができる。
[3] 参考文献32)

2010/03/29

第2章 住宅性能表示制度の成立/2.2 韓国の分譲制度/2.2.1 先分譲制度の形成とアパートの普及

(1)住宅供給に関する規則
現行の分譲制度は「住宅建設促進法(1973-2002)」の下に制定された「住宅供給に関する規則(1978.5制定)」に主に定められている[1]。近年「住宅建設促進法」が廃止されたが、「住宅法(2003)」の下で住宅供給に関する規則は存続している。韓国における住宅供給とは、住宅法に規定した事業主体が住宅建設事業計画、あるいは宅地造成事業計画の承認を受け建設した住宅と福利施設を分譲、または賃貸することである。住宅供給に関する規則に従い、住宅及び福利施設の供給を行うとする供給者(事業主体)と、これらを取り受けるとする需要者は、本規則で定めるところに従って行わなければならない。具体的に供給者は入居者募集条件・方法・手続き、入居金の納付方法・時期・手続き、住宅供給契約の方法・手続き等に適合しなければならない。また需要者も、入居者資格・再当籤制限・供給順位等に適合する必要がある。

(2)先分譲方式と後分譲方式
韓国における分譲方式は先分譲方式と後分譲方式に分けることができる。前者は住宅が完成される以前に分譲する方法で供給者は事業初期段階に入居者からの資金調達を可能とし、建設資金で活用ができる。しかし、需要者にとってリスクが大きくなる。後者は住宅が完成した後に分譲する方法で供給者は自らの資金調達を行わなければならない。供給者にとってリスクが大きくなるが、需要者は完成された住宅を直接確認及び比較することができ、消費者中心の市場形成が期待されるといわれる。先分譲方式は供給者を支援する分譲制度であると言われているが、韓国は民間資金の活用と緊急な住宅不足の解消のために主に先分譲方式の分譲制度を発展させてきた。「住宅供給に関する規則」により基本的に建築工程の10-20%(基準工程)以上から入居者を募集することができる。また、一定の条件を満たせば、着工と当時に分譲も可能である[2]。最近、住宅の量的不足の問題が解消されながら先分譲の基準が強化(1999,改定)され、建築工程の50-67%以上(全体層数の1/2-2/3以上の躯体工事)となっており、後分譲を支援している。先分譲制度が始まったのは、1966年代中頃のソウルの漢江辺に建設された東部仁村洞団地の「漢江マンション(大韓住宅公社、1970)」から始まったといえる[3]。初めに「見本住宅」の登場や広告等のマーケティング活動が行われた。それ以前までは後分譲方式が主流であったが、漢江マンションの分譲がきっかけで先分譲方式が定着してきたとみられる。また、東部仁村洞団地は、韓国のアパートの普及において先駆的役割を果たしたといわれる[4]。新しい住宅型としてアパートは社会的に受け入れられることとなり、政府にアパート中心の持家政策の推進に確信をもたせた契機となったといえる。

(3)アパートの普及
1960年代初に最初の現代的団地である「麻浦アパート(大韓住宅公社,1962-1964)」が建設されたが、当時の生活様式や住居様式からみると、初期のアパートは一般人になかなか受け入れなかった[5]。また、1960年代中頃の庶民住宅の大量建設政策(第2次経済開発5個年計画1967-1971)によって、ソウル市に「市民アパート」が供給され、アパートは庶民住宅のイメージが強かった[6]。さらに、「ワウ市民アパート」崩壊の事件(1970)[7]が発生し、アパートの構造・技術に対する不安感が高まった。こうしたアパートに対する社会的に否定的意識は、需給ギャップや住居環境の改善のための公共のアパートの普及・推進に共に大きな妨害の要因となった。

しかし、公共はアパートの普及促進のために中高所得層向け分譲アパートの供給に取組んだ。当時、社会指導層という公務員を対象とした公務員アパート(1966)を始め、漢江マンション(大韓住宅公社,1970)等の建設が推進され一般人の意識が改善していった。また、ソウル市は最初高層アパート団地である「汝矣島示範アパート(12F,1970)」を建設し、構造的安定性も示した。このような戦略は、1970年以降のソウルの江南開発の礎石となった「盤浦アパート(大韓住宅公社,1971)」の供給にも適用され、社会的に大きく注目を集め大人気となって、「抽籤制」が行われた[9]。「漢江マンション」が建設された以降、プレミアムが付くなど、人気が高く、1970年の民間アパート開発を刺激した。さらに、1970年代初の住宅建設促進法等の制度的基盤が構築され、アパート建設が促進された。1970年中盤から大手企業のアパート事業に本格的に参加し低所得層住宅のというアパートイメージの改善に大きな影響を与えた。これは韓国においてアパートに対する社会的意識の大転換を意味し、今日のアパートという住宅型は大都市のみならず地方でも一般化してきたといえる。

図2-1 韓国の「麻浦アパート(1962,左)」と「漢江マンション(1970,右)」[8] 

このように韓国社会においてアパートという住宅型が大人気となった要因には、産業社会化の過程で既存住宅より利便性や居住性が高かった理由もあるが、他の住宅型より建設・供給に関する制度的整備が速く進んだことに加え、社会的にミドルクラスの安定的な居住様式として定着してきたこと、更に需給の不均衡の中で購入後の住宅価格の上昇に伴う資産形成の効果があったことがあったと考える。従って、韓国においてアパートは、諸国のアパートとは異なる経済・社会的な独自性を持っていることに注意する必要がある。しかしながら、図2-2のように大衆社会化の生産・消費様式と都市化の高密居住という産業社会化の流れの中に取り込まれた都市及び住宅の急速な変化を象徴的に表している。即ち、新しい住宅による物理的質の向上を示すことができるが、必ずしも適正な都市居住文化が形成や成熟してきたとはいえない。質の時代を迎えた韓国社会は、都市住宅の質に関する価値の問題に直面しているといえる[10]。 

図2-2 韓国の盤浦1団地(1971,左)が現在の建替えの後に超高層化された全景(2008,右)[11] 


[1] 1960年代初の住宅公営法(1963.11.30制定)から始まり、大韓住宅公社(1種)地方自治団体(2種)が建設した公営住宅は公開募集を原則として主に無住宅者(や賦金償還可能者)が対象とした。しかし、住宅市場に対する法的・行政力を強化させ、基本的に民間主導的供給体制を志向したものである。1970年初の住宅建設促進法(1972.12.30制定)より住宅概念が民営住宅から国民住宅に変化する。国民住宅は40㎡-85㎡で、無住宅者に1世帯1住宅の原則に公開募集により供給されることとなった。
[2] 先分譲は、2か所の業体の連帯保証が必要であり、特に着工と当時に分譲は大韓住宅保証株式会社分譲保証が求められる。
[3] 参考文献8)によると、漢江マンションは先分譲制度の出発点を示している。
[4] 参考文献9)と10)によると、ソウル市の東部仁村洞には、1960年代中盤より漢江公務員アパート団地(1312戸)、漢江マンション(700戸)と外国人アパート(500戸)が建設され、3千戸の大規模団地が造成された。比較的に高級であり、ミドルクラスに人気があった。また、大規模の団地や供給対象の構成、建築計画等において、以後の10年間の漢江の江南地域に大量建設されるアパート団地の供給に影響を与えた(GELEZEAU)。また、最初の立式生活を基づく設計され、食寝分離を実現、南方配置、中央温水暖房方式等が導入された(KIM)。
[5] 参考文献8)によると、1962年-1972年間のソウル地域に総4万戸のアパートが建設されたが、政府の資金不足で庶民住宅建設のための財源支援は自治体に集中されており(公営住宅法,1963-1972)、大韓住宅公社は政府の財源支援がうけないで中所得層向けの住宅供給に主力した。
[6] 参考文献8)によると、1969年-1971年、3年間2千棟、総9万戸の建設計画があったが、1970年4月の「ワウアパート崩壊の事件」で中断され、ソウル市内32ヶ所に総426棟16,963戸の市民アパートが建てられた(JANG,1994)。
[7] 参考文献11)によると、都心再開事業として行われた市民アパート1969年12月に竣工された「ワウ市民アパート(ソウル市)」が、1970年4月8日の今朝6時頃にコンクリト5層の1棟が崩れ、32名が死亡・39名が重軽傷を負ってしまった(LIM)。また、参考文献9)によると構造欠陥による事故であったが建築行政の問題(不正腐敗)が大きな原因となった。それは、人災にもかかわらず、アパートのそのものの欠陥によることと認識された(GELEZEAU)。参考文献11)によると、(この事件で)低所得層を対象とした庶民のための市民アパートの建設が中断されたと共に、アパート供給政策において低所得層から中所得層への対象転換に影響を与えた。
[8] 写真出所:大韓住宅公社30年史,大韓住宅公社(1992)
[9] 参考文献11)によると、1970年代の新ミドルクラスの増加とともに都市において住宅の需要が急増しアパートが大人気となった。また、当時のソウルにおいて分譲アパートの競争率は40-70対1であって高かった。
[10] 参考文献4)と5)によると、住宅の質の検討は、価値の問題を回避することができないため、対象の空間的スケールやこの主体の立場を考慮して質の規定が行われる必要があり、個別的価値(A)と社会的価値(B)の最適化が目標となる。Aは個人的欲求の実現、Bは効率性(住宅の社会資本的機能の整備が目標)と公平性(住宅の社会福祉的機能が目標)の基準により整理することができる。従って、住宅の質の向上とは住宅・住環境の物的・空間的広がりの中で様々な段階における個別的価値及び社会的価値を最適化することである(高田,1991)。また、既存の家にはいろいろ問題があり、家を建替えた方が合理的だと考えられる理由もあるが、建替えられた家は長く住み続がれてきた家よりも素晴らしく、明らかに高い価値を持っているとは必ずしもいえない。問題は家の側より人の側にあり、家の価値は家と人の関係の中で定義され評価される。人の価値観が変わらなければ、スクラップ・アンド・ビルドを支える社会の仕組みは変わらない。スクラップ・アンド・ビルドがら脱出するには、住まい方を育て、家と人との相互の関わりのなかで得られる「居住価値」を実現する必要がある。また、居住価値と共に資産価値が重視されるべきである。資産価値の重視は投資手段より他者(家を住み続ぐ人、地域社会)の価値を考慮することにつながるからである。異なる価値観との共生を前提とした資産価値は家の価値の重要な要素である(高田,2009)。
[11] 写真出所:大韓住宅公社30年史(1992),S社の分譲カタログ(2008)









2010/03/24

第1章 序論/1.1 研究の背景/1.1.4 日本と韓国の住宅事情の比較

(1)住宅政策
住宅供給体制はそれぞれの国情や住宅問題への対応の歴史によって異なる展開をとっているが、日本は西欧の社会的供給体制を、韓国はアメリカの商業的供給体制をモデルに自国の住宅供給体制を構築し住宅の量的不足を解消してきたといえる[1]。当然に住宅供給体制を支えた住宅政策も異なるものであった[2]。
日本の住宅政策は、住宅金融公庫、公営住宅制度、日本住宅公団等の政策手法を柱として、住宅及び住宅資金の直接供給を行ってきた。住宅建設計画法(1966-2005)の下、住宅建設五箇年計画の着実な実施を通じて住宅の量の確保を図り、住宅不足の解消や居住水準の向上等に一定の成果を上げてきた。即ち、日本の行政(公共)は直接的な技術・経済的制御(直接的手段)を中心に行い、住宅政策の機能を果たしたといえる。これに対して韓国の住宅政策は、住宅建設促進法(1972-2003)、民間資金、民間建設会社等の政策手法を柱とし、住宅及び住宅資金の間接供給を行ってきた。住宅建設促進法に基づき行政は、分譲価格・許可等の住宅事業を間接的な制御をしながら、特別住宅供給計画を通じて短期間内に量的確保を図り、深刻な住宅不足の解消及び居住水準の向上等に一定の成果を上げてきた[3]。即ち、韓国の行政は間接的な技術・経済的制御(間接的手段)を中心に行い、住宅政策の機能を果たしたといえる。しかしながら、高田(1991)によると、間接的手段と直接的手段は必ずしも対立的に考えるべきでないが、間接的手段は直接的手段に比べて手段適用の効果と病弊について不確実性が高いため、間接的手段に大きく依存することは難しいと指摘している。これは、韓国のLIM(2002)が指摘したように主に間接的手段に依存した韓国の住宅政策が投機性資金の流入の中で規制と緩和を繰り返し、一貫性を維持することができなかったという点と、相通ずることがあるといえる。さらに、民間企業や民間資金のエネルギーの活用による効率性が認められるが、経営的な有益な特定タイプに集中し、住宅政策の機能においても問題が露呈したと考えられる[4]。
一方、岸本(1986)[5]によると、日本の住宅政策は住宅政策を機能させるための支援制度を用意していない事情から放任型に近いと指摘されている。反面韓国の住宅政策は支援型に近いといえ、これらを両国にとって問題視する必要があろうと考えられる。特に韓国の場合は2000年度以降、質の時代に向け、量の時代を導いた開発一辺倒の法・制度を整備しながら住宅政策の社会福祉的機能を図っているが、上述したように市場ベースの住宅供給体制の根本的な限界のため、従来の政策形態を大きく外れてはいない。例えば、住宅政策の転換に向け「住宅建設促進法」を代替した「住宅法(2003)」は住宅の質的な向上を図っているが、住宅供給の拡大も同時に狙っているので従来の住宅建設促進法を継承しているといえる[6]。一方、日本では成熟社会とストックの時代に進行する中で新しい住宅政策への転換に向けた「住生活基本法(2006)」が制定された。これに基づき、良好なストック形成向けた市場重視やストック重視のための住宅政策の役割が見直されており、その中で住宅市場環境整備が重要な課題となっている。特に供給者と需要者の役割及び責任等が強調されている中で住宅性能表示制度の活用が高くなっているといえる。

表1-6 日本と韓国の住宅事情[14]

(2)住宅のストック
表1-6は日本と韓国の住宅ストックとフロー事情を整理したものである。先ず、住宅の量的側面から見ると、日本の場合は全国基準で1968年に「一世帯一住宅」を実現した(都道府県基準で1973年)。近年の「2003年度住宅・土地統計調査[7]」によると、世帯数約47,000千世帯に対し、住宅の総数が約54,000千戸となっている。持ち家は61%、戸建は57%(戸建の93%が木造)[8]、分譲マンションは10%を占めている。それに対し韓国の場合は、2002年度に住宅普及率100%を達成したといわれたが、「2005年度人口住宅総調査[9]」によると、世帯数約16,000千世帯に対し、住宅の総数が約13,000千戸となっており、統計的に未だ量的不足の状況にある。総世帯数の中で持ち家は56%であり、住宅ストックの中で集合住宅は67%となり、特にアパートの割合(53%)が高く、RC造の壁式で建てられたアパートへの偏重が顕著である。

次に住宅の質的側面をみると、日本の場合は1戸当たり居住室数4.73室、1住宅当たり床面積94.9㎡、1人当たり床面積36㎡である[10]。また、1981年度以後に建てられた住宅ストックは57.8%を占めており、住宅が取り壊されるまでの平均築後経過年数は日本では30年といわれている[11]。韓国の場合は、1住宅当たり居住室数4.8室、1人当たり床面積24.8㎡となっている。また、1980年度以後に建てられたストックは約87%を占めている[12]が、1990年代の活発な建替え・再開発事業によって住宅寿命は20年前後になったといわれている[13]。

(3)住宅のフロー 
日本の住宅投資は1997年以降、10兆円後半に対し、対GDP比は4%台にまで減少し、2001年以降は3%後半の水準となっている[15]。勤労者世帯の住居費支出割合(住居費=住居費/実収入)は1997年以降漸増傾向にあり、2003年は11%に達している。首都圏住宅価格(住宅価格の年収倍率)は1990年に年収の8倍に達したが、その後の地価下落を反映し、近年マンションの場合は5倍台になっている。一方、韓国の住宅投資において対GDP比は1991年の8.9%をピークに減少し、2005年は5%台(37兆ウォン)になっている[16]。なお住居費負担(月所得対比賃貸料比率:RIR)は17.3%(ソウル:21.0%)、首都圏住宅価格は(年所得対比住宅購入価格比率:PIR)は5倍(ソウル:7.7倍)になっている[17]。 
住宅供給については、日本の場合(新築住宅着工戸数)、バブル景気期には年間160∼170万戸の高水準であったが1997年度以降は、110∼120万戸の水準となっている。2003年度には、戸建住宅50万戸(42%)、分譲マンション16万戸(14%)、賃貸住宅46万戸(39%)が供給されている[18]。韓国の場合(新築住宅建設戸数)、1990年から1997年度まで年平均60万戸以上が供給されたが、1997年度の経済危機(外貨危機)以後には大きく落ち込んだ。2000年度から年平均50万戸の水準で回復したが、2005年度には戸建住宅3万戸(6%)、アパート42万戸(90%)となる。 韓国の場合は、1970年代末から民間住宅の分譲価格が統制されてきた(住宅建設促進法の改正,1977.12)。分譲価格の規制は、経済成長と所得水準の向上に伴う質的ニーズに対応できず、市場機能の歪曲、住宅部品産業の発展の阻害等をもたらしたといわれる。1999年から民営住宅に対する分譲価格が自由化されたが、本格的に住宅の商品化(ブランド化)及び高級化が進み、分譲価額も高くなった。


[1] 参考文献4)によると、資本主義社会の住宅供給体制を大きく見ると、社会住宅を供給してきた西欧の「社会的供給体制」と、自律的市場機能に依存しながら財政・金融的手段を通じて政策目的を追求したアメリカの「商業的供給体制」に分けており、これらは国家財政をもとに住宅を供給した「福祉住宅供給体制」といっている。しかし、韓国の場合は、民間資本をもとに住宅市場の統制を通じて住宅政策の目標を達成すると意味から西欧やアメリカの福祉住宅供給体制とも区別され、「国家主義供給体制」や「統制市場体制」といっている。
[2] 岸本幸臣(1986)は国民の住宅の供給を、公共機関が一定の政策目標をもって支援する時、そうしたことの制度や支援体系を「住宅政策」とし、住宅の供給主体によって「公共主導型」、「民間主導型」、「第3セクター型」で政策を分類している。高田光雄(1991)は住宅政策の主要な機能を、目標設定という観点によって「社会福祉的機能」、「社会資本形成的機能」で2つが存在し、主体を制御するための間接的手段・直接的手段をあげられている。間接的手段というのは行政が主に建設、管理、所有等の基本機能を民間に任せ、各機能を間接的な技術的・経済的方法(法律規制及び緩和、インセンティブ制度等)を通じて制御することを示す。反面、直接的手段というのは、国が建設、管理、所有等の基本機能を直接に担い、直接的な技術的・経済的方法を通じて制御することを示す。
[3] 参考文献4)によると、例えば、1972年度の250万戸10個年計画、1980年度の500万戸、1988年度の200万戸建設計画が挙げられることができるが、実際に大きな成果を上げた計画は200万戸建設計画である。
[4] 社会資本形成的機能面から考えると、「1980年初から導入された壁式構造は、経済・施工性がよいため、以後の高層集合住宅(アパート)で採用され、現在ほとんどがこの方式で建設されている。なお1998年から壁式共同住宅の標準設計(内法巣寸法)が行われ、住宅部品産業の発展を図っている。しかし、供給された壁式アパートでは平面の画一化・固定化が著しくて、修理の容易性も十分に考慮されなかったことが明らかになった。また、主に分譲住宅の供給の政策を行い、賃貸住宅は少ない(ストックの8%,2003)状況であり、国家財政による低所得層のための福祉的機能面も十分ではないといわれている。
[5] 参考文献41)
[6]「住宅法」は量の確保を図った従来の「住宅建設促進法」を、住宅の質の時代に対応させるために全文改正(2003.5.25)したものである。住宅建設促進法(1972.12.20制定)は大統領令(特別法)であり、政府に公共住宅だけでなく、民間住宅に対しても開発・施工計画及び分譲まで管理できるようにする権限を与えた。改定後も、ほとんど既存の役割を継承し、住宅の建設・供給・管理、そのための資金・運用等に関する事項を定めている。ただ、建替え事業の部分は「都市及び住居環境整備法(2002.2)」に分離された。
[7] 参考文献54)
[8] 参考文献54)によると、総ストック中で木造が61%、非木造が39%となっている。また、参考文献51)によると、特に戸建て住宅の約70%は伝統的な在来工法の木造軸組であり、その供給の大半は中小業者が担っていると記述されている。
[9] 参考文献3)
[10] 参考文献55)
[11] 参考文献54)
[12] 参考文献3)
[13] 住宅産業研究院の資料(2000)によると、ソウル市での1990-1998年間に建替え住宅の寿命は、16-20年が84.7%であり、20年以上は15%の割合を占めている(Houzine vol.64,住宅都市研究院,2005.10,再引用し作成)。
[14] 参考文献3),6),54),55)を参考・引用し作成した。韓国の住宅寿命の場合、近年の法規定による建替えの年限は、「都市及び住居環境整備法施行令(2003.6.30)」第2条2項1により20年以上(市道条例によりその以上が可能)となる。ソウル市(ソウル特別市都市及び住居環境整備条例,2003.12.30制定)の共同住宅の場合は、竣工年数に応じた差別適用より20年から40年以上となっている。また韓国の長期賃貸は5年以上の賃貸住宅を指す。
[15] 参考文献54)
[16] 参考文献5)
[17] 参考文献56)
[18] 参考文献8)